紀州藩邸の跡地でもある新参議院宿舎建設予定地は、皇居から神宮までを結ぶ風致地区に指定されていることでも有名な、都心のグリーンベルト地帯です。
  1. 紀尾井町の現環境を保存・維持することの重要性についてPDF
  2. 参議院新清水谷議員宿舎建設に向けて 緑の東京都市空間の継承PDF

紀尾井町の現環境を保存・維持することの重要性についてPDF

――その史的景観と環境を破壊することへの反対意見――

聖徳大学教授 北 村 弘 明
1.紀尾井町とその史的経緯
紀尾井町は、今さら述べるまでもなくその町名の由来からも知れるとおり、かつての紀伊家、尾張家、井伊家の屋敷跡地である他、明治になってからは北白川宮、皇宮用用地、伏見宮家などの用地として使用された。そのため区画形態は江戸時代と、殆ど変わらずに保護され、赤坂見附跡である石垣の景観とも呼応して、江戸の中枢遺構を色濃く残す都内でも数ない史的空間である。
紀尾井町の昔意の地図 東門の坂下、紀尾井坂の手前には100bにおよぶ石垣が今でも存在し、上智大学の東門近くには、尾張家の石垣と目される石垣や、多くの大名屋敷跡地に布置されていたであろうと思われる石も構内に多く残っている。
現在、ホテル・ニューオータニの庭園としている地は、かつての井伊家の庭園を利用したものであり、神田から移築された弁慶橋近辺、かつての出雲藩の上屋敷跡の衆参議長公邸からは、堀の上に数段高く屋敷要地を整備してあり、江戸期の大名屋敷の偉容が容易に感じられる景観となっている。
また歴史的な事件が起こった場所としてもその 「紀尾井坂」の名称が記されている江戸古地図意義は大きく、紀尾井坂では大久保利通公の暗殺事件があり(「紀尾井坂の変」)、1884年(明治17年)には、かつての同僚や部下が、現場近くに「哀悼碑」を建て、その後、周辺を整備して、1890年(明治23年)3月に「清水谷公園」が開園され、都民の憩いの場ともなっている。
2.現状とその環境的意義
江戸の歴史的遺構の地とは言っても、現在ではそこに多くのビル群が立ち並び、その歴史的意義は失われてしまっているのではないか、という意見も出そうである。しかし、この紀尾井町の区画一体は、他の遺構場所とは全く異なり、現在に置いても往事の姿を最大限に利用した場所になっていることにことさら注目したい。
ホテルなどは敷地面積全てを建築用地として潰さず、往事の景観を再利用した庭園を設け、近代的なビル群の要所々々に絶妙な緑地を保存しながら、この紀尾井町全域の環境に、都心とは思われぬ安らぎと気品ある景観を留めている(特に、ニューオータニ日本庭園の歴史は、400年以上前からの記録が残されており、当時この地には、加藤清正の下屋敷があった。清正は、関ヶ原の役を境に次第に勢力を失い、 後にこの屋敷は井伊家中屋敷へと引き継がれることになる。今も庭園内には、江戸初期からの石灯籠や樹木が残存しており、400年に渡る長い歴史を物語る貴重な遺品となっている)。
これらを含め、紀尾井町とその周辺に、現在も史跡価値ある地域としては以下のような場所がある。
「紀之国坂交差点」赤坂見附から、弁慶濠沿いに四谷に向けて歩く。左手に赤坂御料地がある。
「皇族の住居が集まる一角」紀伊藩中屋敷跡と言われる。四谷から赤坂見附、青山一丁目、神宮外苑を結ぶ敷地内に皇太子や秋篠宮などの宮家の住居地。
「赤坂迎賓館」紀伊藩中屋敷跡と言われる。
「紀尾井坂」紀伊、尾張、井伊(彦根)の屋敷があったことから、紀尾井坂と言う。赤坂清水谷から四谷見附に向かう坂道である。
「彦根藩 中屋敷跡」ニューオオタニホテルの四谷側入口の前にある。
「井伊掃部頭邸跡の碑」碑にもあるように、加藤清正が2代で廃絶した後を井伊家が拝領した。桜田門と三宅坂の間にある。
「尾張藩 中屋敷跡」四谷に向かい、紀尾井坂を過ぎてすぐにある。
「紀伊藩 中屋敷跡」紀尾井坂の手前で、赤坂プリンスホテルの入口、弁慶濠脇にある。
3.環境が破壊されることについての重大なる問題点
いわゆる東京都の23区地図などからでは分かりにくいが、現在の紀尾井町周辺の航空写真およびそこのビル群のイメージを見ると、上述したごとく、そこに森林・緑地のスポットが絶妙な配置で保存され、それ全体の配置がこの地域一帯に潤いと江戸期以来の歴史的品格とを与えていることがよく分かる。
紀尾井町周辺の衛星写真(Google Earth 4.0.2737)
紀尾井町周辺の衛星写真(Google Earth 4.0.2737)

紀尾井町周辺の衛星3D写真(Google Earth 4.0.2737)
紀尾井町周辺の衛星写真(Google Earth 4.0.2737)
建物を3D化し、緑地の配置バランスを見やすくしたもの。

写真からも窺われるように、現存する緑地帯はその一つ一つが他の緑地帯と関連・呼応し、大きな建造物の多い中で、全体の環境的調和を醸し出す重要な役割を担っていることが見て取れる。
こうした江戸期以前からの重要な歴史的跡地の景観が残存している例は、他になく、一つ一つを見ればささやかな緑地ではあっても、その全体の呼応が、江戸遺構の区画跡と共に今も往事の姿を我々に示している。これは、けっして偶然に残ったというものではなく、これまで新たな建造物を建てる際にも、人々がこの地を特別な歴史的遺構として感じ、その品位・景観を徒に損なうことがないよう、自ずから配慮し続けた成果であるとも言えると思われる。我々は、そうしたこれまでの歴史的営為を尊重し、安易にその景観を破壊するようなことを許してはならない。
一度、破壊してしまった景観は、それが強権的措置からなされたものであればあるほど、その後二度と取り戻す術もなく、その破壊された結果だけが人々の目に映ることになれば、それは後世までも国民の批判対象になるであろうことを危惧せざるを得ない。

関屋友彦氏の意見 - 1DOC
関屋友彦氏の意見 - 2DOC


THE VALUE OF A TREE

A tree that lives for 50 years generates USD$13,000 worth of oxygen.
Recycles USD$15,690 worth of fertility and soil erosion control.
Creates USD$25,840 of air pollution control and
USD$13,000 worth of shelter for birds and animals.
Besides it provides flowers, fodder and timber.
So if even one tree falls or is felled, the city loses something worth more than USD$67,530.

THINK BEFORE YOU CUT A TREE